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まはの勝手なアーユルヴェーダ論

アーユルヴェーダについて

アーユルヴェーダ・・・それ、何?・・・まはもさっぱりわからないけども、先生方から、ちらりちらりと聞いたところから、勝手に思っているのですが・・・こんな感じじゃないかなって・・それはアーユルヴェーダには三つあるって・・

1健康を保つためのアーユルヴェーダ
2体のバランスを取り戻すためのアーユルヴェーダ
3体から毒素を放出するためのアーユルヴェーダ

3は、いわゆる病気として症状として出ている、たとえば癌になっているとか、体のアンバランスが現象として現れている状態でしょう。この段階では、パンチャカルマとよばれる強力な毒だしは不可欠。この毒だしについては、人体の構造を実に緻密に推し量っており、アーユルヴェーダを極めた人物でない限り、なぜ、どうやって、そんなことをするのかさえ、不明です。2は、病気として症状的には何も感じられていないが、その一歩手前でしょう。それに至らないために、体のバランスを取り戻すことです。1は、毎日の生活のなかで、体のバランスのとれた状態を維持するために、実践することです。

1,2,3のために、アーユルヴェーダでは、体のタイプ別、体のバランスが崩れた種類別に、食養を行います。アーユルヴェーダでは、人間が口にするもの、それがどんな味で、どんな状態で摂取されるかが重要なようです。

それでは、自分の体のバランスのどういうものが乱れているか、については、どのようにして推し量れるのでしょう?また、それにしたがって、どのようなものを食べたらよいのでしょう?たとえば、体に熱が多いタイプの人たち、彼らはピッタタイプと呼ばれます。ピッタが多い人たちにとっては、塩は控えめにすること、大豆は減らすなどさまざまとあります。塩は体熱をさらにあげてしまうからです。

体のタイプの識別、判断、そして、治療方法については、これは、まはが見ている限り、知識以上に、直感によるところが大きいのではないかなって思います。インドで著名なアーユルヴェーダ医師、サダナンダ先生に、私のタイプは、ピッタですか?ワタでしょうか?などと聞くと、必ず、すっとぼけてとんちんかんな答えしか言いません。それは、まるで、そんなことなど、気にしないでいいといわんばかりです。

アーユルヴェーダ伝統の秘伝:脈診

アーユルヴェーダドクター・サダナンダ先生
インド・ワゴリ村、先生のアーユルヴェーダ大学のキャンパスにて、まは撮影。 先生については、こちらをご覧下さい。 アーユルヴェーダスクール・サトヴィック

彼の脈診を受けると、実に的確に体の状態や症状、過去にあったことなどを告げていきます。それは、およそ、アーユルヴェーダ的な言い方ではなく、まるでチャネリングを聞いているかのような語り口調です。「先生、どうして、そんなことがわかるの?子供のころにこんなことがあっただなんて、なんで、わかっちゃうの?」なぁんて聞くと、またまた、すっとぼけたような顔をして、そんな質問は聞いていなかったかのように、こんな食べ物を食べたらいいよとか、そんなアドバイスをしている・・インドの神秘家oshoによると、アーユルヴェーダのドクターは脈と舌を見るだけで、その人物のすべてがわかるのだという。それはマスターの技。もはや言葉や知識では伝える事のできない秘伝の世界なのだと言う。サダナンダ先生は、このアーユルヴェーダの脈診について、これは教育によって伝えることがほとんど不可能なアーユルヴェーダ伝統の手法で、インドでは、代々、親から子へのみ、秘密裏に伝えられてきたものと言っていたと又聞きしました。にもかかわらず、サダナンダ先生は、自らアーユルヴェーダ大学を設立、その不可能を可能にするために、アーユルヴェーダ伝統の後進育成に尽力しています。そしてその学校の教室の黒板には・・・アーユルヴェーダとは、知識ではないとかかれている・・・。

これは、アーユルヴェーダには、知識は必要だが、知識以外の部分が最も重要であるという意味しているのではないかなとまはは思っています。

また、アーユルヴェーダはかなり宗教的なものです。もともとヒンドゥーの伝統にかなり溶け込み、瞑想も重要な日課のひとつ。アーユルヴェーダの治療を行うときには、必ず数分の瞑想を行ってから治療に入ります。穏やかな心によってこそ、真の治療、ヒーリングがもたらされる、そんな思想、哲学が根底にあるのです。

もっとつきつめて言えば、アーユルヴェーダという言葉は、生の科学という意味だとか・・。生きるということを科学する・・・・さらに言ってしまうと、アーユルヴェーダのある学派には、この地球上に生えている薬草、これは、すべて人体に効用があるのですが、この薬草と天体との関連付けを推し量り、さらにアーユルヴェーダ占星術との兼ね合いで、人の治療を行う・・どちらかという、一見、非科学的な手法で治療を行う学派もあり、それはほとんど瞑想だと言う。

5万年の歴史があると言われているアーユルヴェーダ、実に奥が深く、ひとつ間違うと、迷路にさ迷ってしまうかのような感覚すら覚えますが、ここはひとつサダナンダ先生の言葉、アーユルヴェーダとは知識ではない・・・じゃ、なんだろう?そう、実は、内側からやってくるものではないかなってまはは思っています。直感的な意識・・・これによりドクターたちは、患者の治療を行う。このアーユルヴェーダ的な直感を養うことが最も重要であり、これは、知識として伝達できるものではなく、にもかかわらず、そんな不可能を可能にするために、サダナンダ先生はアーユルヴェーダ大学を作り、黒板にアーユルヴェーダとは知識ではないと伝えつつも、アーユルヴェーダを教えているのではないかなって想像しています。

石や植物と通じ合う人々

こんな話を聞きました。まはの友人は、石を販売しています。エレスティアルという非常に貴重な石です。とても珍しく、また、希にしか見つかりません。採掘現場は、南インドの石炭発掘場所に、石炭にまじってエレステイァルという貴重な石が見つかります。その石が見つかると、彼はすべて買い、それを日本を始め世界に送っていますが、需要は山のようにあれど、たまにしか見つからない、しかもインドだけでしか産出しないため(たぶん)、すぐに売れてしまう貴重な石です。

その彼が、あるとき、まはの前に、一個の素晴らしいエレスティアルの鉱石を見せました。「ほら、この石、さわってごらんよ・・・」「・・・・」「わかる?・・・・生きているんだよ・・・・」「・・・!」この地球上には、四足、二つ足で動き回る生命体、動物と人間がいます。動物界と人間界・・・さらに、自分では動く事ができない植物界、さらには、鉱物界があります。

最近の研究では・・・それは、主に、ロシアの科学者キルリアンから始まったものですが、実際に植物も気持ちというか、感情らしきものを持っていることがわかっています。木に電極をさし、その電極の変動を観察することで興味深い「事実」がわかっていますよね・・・知っていると思います。ある男性にのこぎりを持たせ、「切るぞ!」というはっきりとした強い意志ももって植物に近寄らせると、そのメーターがとても不安定に激しく揺れます。

人間と交流する植物の話は聞いたことがあると思います。

一本のつるに、一万個の実をつけるトマトの話。ご存知ですか?これは、実際にあった話だと聞いています。ガイアシンフォニーっていうドキュメンタリー映画にあったそうで、話によると。ある男性が、トマトを庭に植えて、おおきくなーって一万個の実をつけてねって、そんな風に、毎日のようにトマトとお話していたところ、どんどんとトマトが大きくなっていって・・・・あるとき、その男性が出張で、しばらく留守しているときに、なんと、一万個の実がなったんですが、、、トマトは、その一万個の実をじっとこらえてツルにつけたまま、男性が出張から帰るのを待っていた!という話です。

こういう話は、たくさんありますよ。インドでは、ある有名な農夫がいます。彼は農薬も肥料もなぁんにも使わないそうです。でも、彼が作る野菜はすばらしくできがよく、その秘密は、彼は一旦植えると、その日から、野菜とお話するんですね。野菜と友達になってしまう。すると、野菜たちは、男のためにすくすくと元気に大きくなってしまう。基本的な水遣りだけで、肥料もなぁんにも与えないのに、害虫にもやられず大きくなる。そんなんで、その農夫は、自分の農業のやり方をインドに教えながら回っているんだそうです。

これは、ただ、大きくなってねと声をかけているだけではないと思います。野菜や木が感じられる・・・そうして交流がおこるんですね。人と野菜、人と木、人と薬草・・・・彼らも、植物たちも生きています。

ジェイン氏
ジェイン氏(写真中央)は、彼の生まれ故郷チャイタニアバン(半砂漠)に植林と薬草を植え、そして、その木、草の一本一本に祈りを捧げるかのように語りかけている。

おまえが、この地に根付けば、その後、何百年もこの地に育つ事ができるだろう

先日、ジェイン氏とジェイン先生の農園に行きました。夫妻はそこで、素晴らしい実験を行っています。ジェイン氏は、彼の生まれ故郷の荒れ果てた土地に、木や薬草を植え始めました。ありとあらゆる種類のハーブたちや、木々たち。でも、ジェイン氏は、植えた後、できるだけ最小限のケアしかせず、木に語りかけるんだそうです。「おまえが、この地に根付けば、その後、何百年もこの地に育つ事ができるだろう」と・・・。ところが、木は、最初、南国にありがちな白蟻にやられます。病気にやられます。でも、手出しはせず、一度植えたら、最小限な水遣りだけにして、あとはそのままに放置するんだそうです。そのとき、ジェインさんは、ある一本の木を指し示し、こう言いました。

ジェイン氏

「この木をみてごらん。この木はね、最初、実に多くの病気にやられてしまった。ある年は、白蟻に木の根を食い尽くされそうになり、そのとき、私は、『おまえが、この地に根付けば、その後、何百年もこの地に育つ事ができるだろう』とその木に向って語りかけていたところ、いつの日か、気づいたら白蟻がいなくなっていた。」 ジェイン氏が言うには、木は、力を振り絞って白蟻と戦わねばならないそうです。弱い木は・・・しっかりとこの地に根付きたいという気持ちを持っていない木はやがて白蟻に食い尽くされてしまい、倒れてしまう・・・それはまるで人間と同じなんだそうです。「白蟻が終ったかと思うと、翌年は、今度はひどい病気にやられ、葉にまったく勢いがなくなってしまいました。それでも私は、その木に向ってただただ、語りかけるだけでした。安易に薬などで消毒してはなりません。確かにそのときは、病気はなくなり、一見、健康になったかのように見えますが、それは違うのです。木はここで生きたい、ここに根付きたいという気持ちを振り絞らなければならないのです。それに対して、私たちは、自分たちの利害のために手出ししてはいけません」「そして、その病気を克服したかと思うと、次の年は、また別の病気・・・ところが、その後、この木は、急速に力強く枝葉を伸ばし、ここまでに大きくなったのです。ここに根付いて、天高く枝葉を伸ばしたい、そんな木の勢いが感じられませんか?」

生きたい

これは、まはには驚くような話でした。人間も同じです。生きたいという強い気持ちがなければ、いくら治療したところでムダでしょう。でも、仮にどんな病気に冒されていたとしても、当人が生きたい!そんな気持ちを振り絞ることができれば、何もしなくても、それは克服されていく、そんなメッセージのようにも思えたのです。名医サダナンダも、時として、重病患者がやってきても、見向きもせず、見放すことがあるそうです。彼は、患者の気持ちをもっとも大事にする・・治りたくないと、生きたいと思わない、そういう人に対して、彼は言葉をはぐらかし、うやむやな返事しかしないそうです。

アーユルヴェーダとは、知識ではない。

植物と語りあう人たち、あるいは、人間を相手にする人たち・・・そこには多くの交流が起こります。それは、動物にしても同じでしょう。昔、聖フランシスという、大変に純粋な聖者がいたんです。実在の人物で、実際にあった有名な話でしょう。彼が河にいくと、恋が飛び跳ねて喜び、鳥たちが彼の肩にとまり、獰猛な動物が傍らで大人しく坐っている・・・そんな姿を見た人々は、彼を聖者としてあがめるようになったんです。彼には、大変繊細で敏感な感性があり、動物たちと交流できるんです。

それは、石にしてもまったく同じ・・・エレスティアルの石を取り扱っているまはの友人は・・・石が呼んでいるって・・・・彼らは、口を揃えて、石は生きているよって言うんです。ほら、手にとってごらんよ!ね、ほらほら、喜んでいる!感性の極みでは、さまざまと不思議不可思議な現象に見えることが起こります。現代の社会は、この感性を遮断し、頭脳と知識を優先するようになりました。知識と思考の影に、まるで感じることができないかのように思っていますが、本当は、私達は、大変に感性が豊かなはずだと思うんです。

この感性、これを直感と呼ぶ人もいます。そして、この直感は誰も教えることができません。なぜなら、それは見たり、触ったり、嗅いだり、聞いたりする五感と同じように、皆に備わっているはずのものだから・・・。直接に感じる、そこに知識や先入観のフィルターもなく、直接感じること、それはひとりひとりに備わったものではないでしょうか? ちょっと感じてみれば・・・

サダナンダ先生の大学の、ある教室の黒板に白いチョークで書かれていた「アーユルヴェーダとは、知識ではない。」・・・この一言がずんと重く、また、端的に、アーユルヴェーダを言い表しているのではないかと、まはは思っています。

本格的にアーユルヴェーダを学びたい方は
サトヴィック アーユルヴェーダスクール


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