出産という賭け・予定日超過23日のお話<2>
アーユルヴェーダドクターにして産婆さんのプラバダイ
ふうちゃん、生まれてから一ヶ月後、プラバダイと。
そうそう、そんなときに、実はプラバダイに電話したんです。プラバダイのダイは、 年長の女性につける敬称。彼女の名前はドクター・プラバー・ゴッドボーレさん。実は、ここ、プー ナで、彼女にとりあげてもらった子供は数知れない。町をあるけば、プラバダイが とりあげた子供に必ず出会うってほど、彼女が取り上げた子供は多い。日本にも 助産に来てほしいとリクエストされたほどの先生(実際は断ったので行かなかった らしい)。
彼女は、実は、サミーラさんのお産を助けてくれるために、バスティを毎朝来て やってくれていたんですね。話せば長いストーリー。 バスティとは、早い話浣腸ですが、これはアーユルヴェーダのやり方にのっとっ た、妊婦のために調合された特別なオイルを使っての浣腸なんです。とにかくお 産をスムーズに、楽にするように、そんな目的で、サダナンダ先生の特別の計ら いで、サミーラさんはラッキーにも本格的なバスティを、自宅にて受けられるっ てなことになったんです。
インドの実践的アーユルヴェーダ界のNO1とも評されるサルデシムック先生
ちょっとここで、ワゴリ大学とドクター・サルデシムック、敬称サダナンダ先生 について・・・。 サミーラさんの妊娠がわかったとき、サミーラさんとまはは、産婦人科には行き ませんでした。産婦人科ではなく、まずサダナンダ先生のアーユルヴェーダ・クリニッ クに向かったのです。先生に妊娠のことを告げると、もう脈診でわかっていて、 「どうするの?」と聞いてきました。サミーラさんが「もちろん、産みます!」 と答えると、サダナンダ先生は、「神様、ありがとう!」と喜んでくれました。 それが妊娠2ヶ月のころ。以来、毎月1回~2回程度、定期的に先生のクリニッ クに通っていたのです。
「サミーラさんは体がとてもしっかりしている。ベイビーも順調だよ」
と、先生は脈を診ると、そんな風に答えてくれました。 一時、つわりがひどくて、心配だったときにも、「つわり?ああ、それは当然な んだ、心配いらない」と、とにかく心の支えになってくれました。 脈一つでここまでわかる人も貴重な存在。しかも、先生に会うだけで、気持ちが楽になる。先生は、先生の師匠であり、実の父親でもあり、インドのアーユルヴェーダに名前を残した偉大なるマハラジにより、子供の 頃から、アーユルヴェーダドクターになるべく、鍛え上げられてきた人物。そし て、ワゴリ大学とは、未来の子孫たちにアーユルヴェーダの知恵を残すべく、マ ハラジのライフ・ワークとして設立された大学。その遺志をついで、サダナンダ先生は世 界を駆け巡っている。日本はもちろん、ヨーロッパ、オーストラリアなど、世界 にアーユルヴェーダの知恵を広げるべく活動している無私な人物。今も昔ながら のアーユルヴェーダを生きる、ある意味、本当のアーユルヴェーダを自らの体と 魂で伝えることができる数少ない人物と思う。だから、まははアーユルヴェーダといえば、サダナンダ先生とすぐに答える。それは、まはの中では誰がなんと言おうと、絶対なんだ。
私、バスティ、嫌!
サダナンダ先生の特別の計らいで、そう、家族扱いみたいな、そんな扱いだった んですね、その先生の希望により、先生の片腕とも言うべき、プラバダイ先生が サミーラ妊婦の安産とケアのために、我が家に派遣されてきた・・って、ほんと、 涙が出るようなお話しだったんです。
プラバダイが予定日の2週間前くらいから、我が家にやってきてくれて、アーユ ルヴェーダのバスティがはじまりました。プラバダイが朝早く、ワゴリのアーユ ルヴェーダ大学に通う途中(彼女はアーユルヴェーダ大学のアーユルヴェーダの 製薬業務という重要な仕事をしている)、わざわざやってきてくれる・・・。も う頭が下がる思いでした。ありがたいありがたい・・・。ところが、バスティを 数回やったところで、サミーラさんに拒否反応が出たんです。
「私、バスティ、続けることができないわ・・・これ、いまの私には違うって感 じるのね・・・逆にバスティで調子が狂ってしまったような気がするの・・」
「えっ!!バスティをつづけたくないの!??」
それで、仕方なく、プラバダイにお断りの電話をしなくてはならなくなったまは でした。サダナンダ先生とプラバダイのご好意、それと、サミーラさんの『感じ』 のハザマで、まははどうしたもんだか、わからなくなっていたんです。
プラバダイからの電話
バスティを断ってから、しばらくの間、プラバダイとは連絡が途絶えていたんで す。そして、予定日を10日過ぎたころ、そろそろ、まはも心配になっていたん ですけども、プラバダイも心配してくれていたようで、彼女が電話をしてきまし た。
「エニィニュース?(ニュースはあるの?)」
「ノーニュース、イェット・・・(まだです)」
直感的に、まははプラバダイがこのお産で、何か大切なことをしてくれると理解 しました。彼女が助ける用意があるわよとサインを送ってきたのだと感じたんで す。が、そのときは、そのまま電話を切りました。 予定日の2週間後に、産婦人科に行き、そこから帰ってきたとき、まははすぐさ ま、プラバダイに電話しました。
「プラバダイ、産婦人科の先生が帝王切開しかないって言っているんだけど・・
・。理由はね、胎児の頭がでかすぎる上に、骨盤に頭がついてもいない、フラフラして
いて、こんなんでは、陣痛が来ても、まともに骨盤に頭がはまれない・・しかも
予定日大超過で、ベイビーは4キロの巨大児に成長してしまっているからだって
・」
「でもね、ひとつだけ、グッドニュースがあるんだけど、超音波をうけたところ、
超音波の女性技師(インドでは産婦人科医師は超音波はしない)が、『何、この
頭!こんなの産道を通れるわけない・・・歳はいくつ?30歳・・・ああ、自然
はね、30歳で、初産をして、まともに子供を産めるような仕組みではないのよ。
それになんで、ここまで子供の頭が巨大になるまで放置していたの?これは帝王
切開しか無理です・・・ただ、この子供の鼓動はすばらしくしっかりしているわ
ね。2週間も超過しているわりには・・というか、鼓動がとてもいい・・・』と
いっていたんです。つまり、鼓動がしっかりしているんで、きっと胎盤機能がし
っかりしているんだと思うんです」
「心音がしっかりしているのは心強い。ベイビーがまだ元気な証拠ね。骨盤の話 しだけど、日本人の女性の骨盤構造と、インド人女性の骨盤構造は、私の経験で はかなり違うわよ・・。その産婦人科の先生がこんな巨大な頭は骨盤を通れない と言っているのは無理もない話し。インド人ではそうだから・・・。でもサミー ラは日本人・・私が見るには、必ずしも骨盤を通れないとは言い切れないと思い ます。日本人女性は、陣痛がはじまってから、ベイビーの頭が骨盤にすぽっとは まるようです。それは、日本人の骨盤構造がインド人のそれより広いということ なんですね。仮にインド人女性のおしりが大きいように見えても、内部の産道は さほど広くないんです。ところが日本人は骨盤の内側が広い・・・サミーラは私 が見る限り、骨盤の内側が広いと思う。だから、いま、骨盤にはまっていなくて も、頭をつけていなくても、陣痛がはじまれば無事に通って出てくる可能性もあ るわね。ただ、ドクターの心配も無理もない・・ドクターは万が一のリスクをと りたくないので、最悪の事態を避けるために、帝王切開をする方法を選択する・ ・・」
そうプラバダイは言いました。日本人とインド人は違うから、インド人しか知ら ない産婦人科の先生の言うことはあてにならない場合があるよとサミーラに伝え たところ、彼女はここで、ふ~チャンが産まれるのを待ちたいと言いました。
待ちに待ったお印
その日、嬉しいことに、お印があったのです!ねっとりとした血が出てきました!もう大喜び!サミーラのお産を手伝ってくれている友人と三人で大喜びしました。お印があったら、本格的な陣痛まで、1日程度、ただ、人によっては1週間以上 かかる人もいる・・ああ、どうしよう、1週間もかかっちゃったら・・・ただで さえ、頭がでかいのに、1週間でもっと大きくなっちゃったら・・・それに、も う一つプラバダイが言っていたのが気にかかりました。
「予定日超過で一番心配なのは、ベイビーの骨が硬くなり始めることです。42 週あたりを過ぎると、ベイビーの骨格がだんだんとしっかりし始めます。だから、 産道を通るのがかなり大変になる。骨がしっかりし始めて、骨の柔軟性が減って くるからです」
ああ、明日、陣痛がはじまってほしい!・・・とは、人間の心。お印はあったも のの、一向に陣痛ははじまりません。その間にも、例の産婦人科の医者から催促の電話が数回ありました。 「私は、もう限界だと思うから、このまま待つのはやめたほうがいいと、それを 君たちのためを思って助言しているんだよ。迷わず帝王切開にしたほうがいい。 陣痛がはじまったところで、どの道、まともに出れる可能性は低いし、帝王切開 になると思う。ただ、こうして放置することで、胎盤機能が少しづつ低下してい く。ひとつタイミングを誤ると新生児仮死にもなる、脳障害も生まれる、さまざ まなリスクがあるんだよ!」
結構、心理的なプレッシャーだったんですね、ドクターの人を思う助言って、結 局、なんとか手術台にのっけようという、そんなことなんで、できたらそれは避 けたい。まははそのときに思ったんですね。どの道、生とは危険に満ちているし、リスク に満ちている。最初から、簡単に出す方法を選んでしまうっていうのは、これは 何か、自然の摂理にかなっていないなぁ~。仮にリスクを冒して、待つだけ待っ て、それでベイビーが死産になる、能障害になる・・・それでもこれは安全な道 はとりたくないよな~・・・だって、それが生きるってことだから・・・。
そう思ってはいるものの、手術台と、リスクのハザマを、それから一週間も続け ることになったんですね。そして、予定日の3週間後に陣痛が始まったのです。 待ちに待った陣痛!陣痛が来さえすれば、すぐに産まれると思っていたのが甘かっ た。陣痛が始まったときは、まさかそれが三日三晩も続こうとは夢にも思ってい ませんでした。まして、その日、陣痛の知らせにやってきてくれたプラバダイは、ああ、これは 偽の陣痛ってのよ。本当の陣痛はまだ先と言われ、ががーーんって感じ。偽の陣 痛でもこんなに痛いのに・・・とサミーラさん。
不安
予定日から3週間もたつと、妊婦の心理は通常ではなくなりつつあります。 つまり、「不安」です。2週間までは、大勢の友人たちから「もう産まれたの?」 と問いあわせがたくさん入り、「まだよ」というお返事をするのにうんざりして いたけども、さすがに3週間目に突入すると、誰も聞いてこなくなったし、また、 メールもあまりチェックしたい気持ちにならなくなっているようでした。
ひたすら、予定日からもうすぐ3週間だ・・・どうしよう、ベイビーが出て来れ なくなったり、中で死んじゃったら・・・産婦人科の先生の言葉がいまとなって はぐさりぐさりと、心の中をかきむしるように効いてくるですよね。これ、一番 苦しいんです。自分の感覚を信頼して待つ!っていう気持ちを足元から救われる ような、そんな感じです。
いまにして思えば、予定日超過なんて、そんなことも知らず、普通にしていたら、 普通に何も心配せず、出てきたんだなと気が付きました。ただ、途中、予定日か ら遅れているというだけで、たくさんの心配を余計に作り出していて、それがま た心に一種の緊張というか、プレッシャーを作って、それがまた陣痛を遅くして いた可能性もあると思います。
どの道、産まれるものは産まれるし、死ぬるものは死ぬ、場合によっては妊婦自 身も死ぬこともある・・そんな大きな諦めの境地ですべてを受け入れていくほう が結局、楽だったよなと思うんです。ところが、現実は不安のエネルギーがたく さんありすぎて、自分の感覚ですら信じられないようになっていくんですね。 サミーラさんもは「ふ~ちゃんは大丈夫、ここでちゃんと産まれるって感じがす る」と言っていたのに、だんだんと不安が大きくなって自信がなくなっていくん です。
「よし産むぞ!」
それで予定日から3週間すぎた日に、友人にあるセッションをしてもらいました。 それはベイビートークというセッションで、お腹のなかにいるベイビーにチュー ニングしてベイビーとお話しするんですね。 そのセッションでベイビーは・・・
「僕はまだ、大丈夫、ここで産まれられる!ただ、ままが産むって決断してくれ たらね・・」(そのときに、男の子ってことがはじめてわかったっていうか、感 じることができました。)
と言ったというのです。それを聞いて、サミーラさんは「よし産むぞ!」と声を大にして三度叫びました。 そして、その日の夜中に陣痛が始まったのです。
最初、30分おきに陣痛が・・・朝まで続きました。早朝にプラバダイに陣痛の知らせをすると、駆けつけてくれました。 「サミーラ、いい感じよ!ベイビーの頭はかなり下がっているわ。まだ、骨盤に は頭が全然入っていないけど、骨盤の入り口に頭はつけている・・・これはいい 感じ・・・」サミーラはときどき来る激しい痛みをこらえながら、大喜びしていました。 「これが待ち望んでいた陣痛なのね!」痛みは、じょじょに短い周期で規則的に繰り返していくようになりました。 その日の夕方には数分に一回、1分程度の陣痛が来るようになり、「痛い痛い」 とは言いながら、もうすぐベイビーが産まれるという予感で、サミーラさんもま はもヘルパーの友人も喜んでいたんです。
ところが甘くなかった・・・
陣痛が始まって二晩めも、数分に一回の激しい激痛が続くだけで何の変化もない かのようでした。彼女はその痛みに絶えかねて、うめき声をあげている・・まは に出来ることはひたすら背中をさするだけでした。 数分に一回の陣痛では、彼女は、二晩めも結局一睡もすることができず、朝を迎 えました。もちろん、背中をさする係りのまはも眠れませんでした。とにかく陣 痛の合間合間に水分補給をさせなくてはと、ひたすら水を飲ませることに忙しかっ たのです。陣痛・・背中をさする・・合間・・・水を飲ます・・・これが延々と 二晩続きました。翌朝、彼女はいいました。
「ひょっとしたら、ふ~ちゃんは、骨盤にはまろうとしてはまりきれずに、困っ ているのかもしれない・・・どうしよう?」
その日、例の産婦人科のドクターから電話があり、すぐに入院するように言われ ました。
「どうする?サミーラ・・・先生が入院したほうがいいと言っているけども・・ ・」
彼女はそれを聞くと、いや、あそこの病院で産むっていう感じはまったくしない ので、いきたくない・・・もう一日!がんばる!
それから、延々と、三日目の陣痛消耗戦が続いていたのです。 寝ずに三日!夜中に、ついにまはは意識朦朧として、そのまま寝てしまいました。 もう、起きていて、背中をさすることすらできなくなっていまいした。このまま では、ふ~ちゃんも、サミーラも、まはも、みんな共倒れになるかも・・・そう 思いながら、夜中の3時ころ眠ってしまいました。 ふっと気が付いてあわてて目を覚ますと、あたりは薄明るくなっていました。 サミーラのうめき声が聞こえてきました。
「しまった!寝てしまったのか・・・」
彼女は、もう限界に達しているようでした。 陣痛の痛みを和らげるために、たまに大声をあげるのですが、その声ももうほと んど出なくなっていたのです。痛みが強く、しかも声も出せない、しかも脱水状 態になっている・・・
「これまでかも・・ふ~ちゃん、巨大児になっていて、頭がでかすぎて、それで 陣痛が始まって、三日もたっても出れないんだね・・・きっと・・・帝王切開で 出してもらおうか・・・もうふ~ちゃんも、サミーラも限界かも、このままでは ・・・・」
そのとき、まはは、例の産婦人科のドクターのところに電話したんです。 ドクターはかなり怒っていて、すぐに連れてきなさいと言いました。 まははこれから連れて行きますと言いました。 だけども、あそこの病院はふ~ちゃんを産むところでないと強く拒否しているサ ミーラさんに、なんと言おうかな?
「サミーラさん、いまどんな感じする?」
「ふ~ちゃんが詰まっていて、苦しい・・・ふ~ちゃんがどうなっているのか、 もうわからない・・・。」
「産婦人科の先生のところで出してもらう?」
「・・・・まず、プラバダイに電話して!」
それでまはは早朝、プラバダイに電話しました。 運よく、その日は日曜で、彼女の働いているワゴリ大学はお休みだったんです。 プラバダイに電話して、事情を説明しました。 「プラバダイ、やっぱ、頭が大きすぎて出れないみたいです。帝王切開しかない ようです・・もう三日も陣痛していて、彼女もかなり衰弱しているし、なかのベ イビーの様子が心配で・・・でも、病院へ行く?といっても首をたてに振ってく れないんで、プラバダイ、一度来てくれて、プラバダイから言ってくれる?もう 病院にいったほうがいいよって・・」 プラバダイは、すぐに来てくれました。
あとで、聞くと、彼女は、このとき、自分は病院につれていく付き添いをするも のと思ってきたそうです・・・ところが、彼女が来て、サミーラを診察してびっ くり・・・
「ベイビーは骨盤にしっかりとはまっていて、出てくるのも時間の問題よ!」
と言ったのです。 子宮口がもう半分以上開いている状態で、あとは子宮口が前開になるまで長くて も今日の夜までには、たぶん、午後には出てくるに違いないとの判断だったので す。 彼女はお腹を触ると、ここにこうしてベイビーがいて、頭がこうして、ほとんど 骨盤にはまっていると、どうしてそんなにわかるのか?というくらいに正確に外 見から判断してくれたんです。
「妊婦というのは、皆、この苦しみを通過する。それはとても辛い。でも不思議 なことに、おぎゃとベイビーが出てくると、その瞬間にすべてを忘れてしまう。 陣痛の痛みがいったいどんなだったかなんて覚えてすらいない・・・。ちょっと 前までね、『プラバダイ!もうダメ、ダメ、お願い、医者に連れてって切って出 して頂戴』っていう妊婦を、『もうちょっとで出てくるわよ!大丈夫もうちょっ と』だましだまし、ふんばらせる・・・するりとベイビーが出てくると、妊婦は すぐに私に聞くの・・・『男の子かしら、女の子かしら!!??』するとね、私 は『あなた、ついさっきまで切って出せって言ってたのに・・・男の子か女の子 か知りたいの?』ってね・・・。彼女はもう幸せ顔になっている。すっかり痛み も苦しみも忘れてしまう。そういうものなの・・だから、サミーラも同じよ!い まはとっても辛くても、ベイビーが出てきたら、もう嬉しくて幸せ一杯・・・ほ ら、もうすぐ出てくるわよ!」
そのとき、サミーラの又に何か見えました・・・。そう、袋に包まれたベイビー の頭・・・。ちょっとプラバダイが厳しい顔をする・・・。
「これを牛の糞というの。色で判断すると、クリアがベスト。牛の糞は危険。胎 盤機能が落ちかかってきていると、羊水を浄化しきれずにこういう色になってし まう。」
「ベイビーは大丈夫?」
「わからない。でも運次第。みてみましょ!」
とまもなく、プラバダイは袋を破ったんですね。手のつめで・・。破水と同時に するりとベイビーが飛び出してきた・・・。 本当は、ここは、自分たちで、いきみなしの楽チン出産をする予定だったはずが、 この状況では、プラバダイにお任せしてしまいました。 まはが取り上げるはずが・・、ベイビーはプラバダイに取り上げてもらいました。 それはそういうものだったんだろうと思います。 ベイビーが出てくる瞬間、ほぎゃという小さな声を聞きました。 落ちるように出てきたベイビーをプラバダイがタオルの上におろして、掃除をし ていると例の『おぎゃおぎゃおぎゃ』という産声を上げました。 そのとき、まはは思ったんです・ 「あああ、産声を上げさせない方法で、やろうと思ったはしたものの・・・実際 にはそんなうまくはいかなかった・・・が、でも、出てきてくれたのはとっても 嬉しい!よかった、よかった・・・。」
この産声には、それなりの重要な意味があるんですね。特に、胎盤機能が危ぶま れていた牛の糞状態の羊水の場合、新生児仮死の可能性もあったわけで、その場 合は新生児は産声をあげることもできず、すぐに保育器のなかに収容されるって わけ。ただ、ふうちゃんの場合は運が強かった、その一言でしょう。
自然出産のすすめ
まは、出産経験無し、ああ、もちろんです、男ですから・・。正確には子供も持ったことがなかった。サミーラさん、出産未経験者。ずぶの素人が二人して、ふうまくんの出産にこぎつけた!『できるだけ、何もしないのがいい、するのは最低限。あとは生きるも死ぬも自然のままに任せる・・』そんな生き方のほうが楽しいよ!